先日友人と食事にいった。店は決めていなかったため、適当に見つけた店に入ろうってことになった。
とりあえずレストランが集まってるところに行こうってことで、●●ホテル アネックスみたいなとこに入って、店を物色。
フロアを一通り回ってみて、お互いに興味を惹かれた店が2件あった。
しかし、ここからが難所だった。お互い候補に残った2店舗からどちらに入るか、なかなか決めることはできない。友人がなかなか決めないから持久戦に出ようと思って、アネックスってどうゆう意味かな~別館だった気がするけどスポーツ用品メーカーっぽい名前の気もするし間違えると恥ずかしいから口に出せないな~などと別方面に思考を飛ばしていた。それでも友人は決断しない。
遅ればせながらの紹介になるが、この友人は非常に決断力がない。似たような味がする甘い甘い缶コーヒーを、どちらを買おうか延々と悩んでいる。
そして類は友を呼んでいるらしく私も全く決断力がないのだ。それこそ夕食を食べる店舗も決められないほどに。
しかし、これは全く不合理なことだ。もし判断に迷っている2店うち、どちらかがほんの少しでも気に入ったら、そっちを選べばよい。全く同一のお気に入り度ならどちらを選んでも一緒のはずだ。得られる効用に違いはない。
※ここまで読んでいただいた方は、お互いに遠慮し合っているのではないかと指摘するかもしれないがそれは違う。缶コーヒーの例もあるように、他人に配慮する必要がない場合でもこの友人は決断力が無いし、私も全く同様なのだ。
不合理に生まれ、不合理に育ってしまったことを呪っていたところ、ある理論を思い出した。行動ファイナンスだ。
行動ファイナンスによれば、人間は、実際に行った選択ではなく、行わなかった選択を後悔する傾向があるようだ。
だから、人間には選択肢が限定された状況の方が好む。選択肢が少なければ、それだけ後悔することも少ない。
そうか、私が全く決断しないのは、至極当然なのだ。他人に決断させて自分が選べない状況ならば、後悔することも少ない。後悔を最小にする最善の方法が選択しないことだったんだ。
何も決められない人間に対する世間の目は厳しい。組織では決断力の無さを責められるし、将来の伴侶はきっと私にイライラし続けるだろう。
しかし、行動ファイナンスは優しい。どんな不合理で頭の悪い行動をとっても、人間そんなものだよ、そのままでいいんだよって言ってくれる(気がする)。
だからこれからも強く生きていこうと思う。